これからの時代はプログラミング。間違いない。確信した。

最近色々情報を集めている。結論、これからの時代はプログラミングだ。これは間違いなさそう。確信した。

何をやるには、何になるにも、プログラミングを理解しておくことがめちゃくちゃ大事だ。

サッカー選手や野球選手?そんなもの、我が子に期待するのはかわいそうである。別に可能性を潰すつもりはないが、そんなものに夢を膨らますくらいなら、別の道を教えてあげたい。サッカーや野球は、否が応でも通る道だから。

親として、子どもに可能性を与えてあげるなら、プログラミングだと思った。これは、親が与えてあげないと、子どもは通らない。

いや、通ってることに気づかないのだ。

思えば私だって、プログラミングの道を通っていた。通っていたが、それがプログラミングだと気づいたのは随分大人になってからだった。情けない。

気づいたときには遅かった。いや、遅くはない。自分だけのことを考えるのであれば、今からでも勉強したっていい。だがそれは無理な話である。子どもがいるからだ。

子どもがいる親が、今から道を変えるのは非常に険しい。

最悪、家族を死に至らせることになる。それはダメだ。

私一人のわがままで、それはダメだ。それは、効率的じゃない。現実的じゃない。

現実的であり、効率的であり、未来的なこと。それは子どもにプログラミングの道を教えてあげることだ。強要はしない。あくまで、教えてあげるだけ。

選ぶのは子どもだ。でも、なるたけ好きになってほしい。興味を持って欲しい。

じゃあどうするか?流行りのプログラミング教室に通わせる。これが一番最初に浮かんだ。が、これはダメだ。

興味を持てばいいが、最悪の場合、プログラミングどころか、パソコンやコンピュータを嫌いになってしまうかもしれない。それは最悪だ。

プログラミング教室。是が非でも通わせたいが、そんなリスキーなことはできない。じゃあどうするか。最適解を見つけた。ロボット教室だ。

正直遠回りのようにも思えた。お金の無駄になるかもと思った。でも違うかもしれない。おそらく、我が子にとっては、この道が順当だと思えたのだ。

実は来週にも体験教室に行くことにした。思い立ったが吉日。すぐに予約をとった。子どもに話したら、「行く!」と言ったからだ。善は急げ。子どもの興味が冷めないうちに。ロボット教室なるものは色々ある。色々あって、少し迷ったが、大事なのはロボットに興味を持つかどうかだ。だから、とりあえずどこでも良かった。

徐々に徐々に慣れてくれればそれでいい。とりあえず体験だけでもいいわけだ。というわけで、色々比較していたこのサイトを頼りにヒューマンアカデミーのロボット教室を予約した。ホームページに日程も載っていたので楽だったというのもある。何より家から近い。さて、我が子はどうなるのか。頼んだぞ。

知らない者には憧れない、なれない。子どもに夢を聞くのではなく、夢を見させることが大事だ。

自分がまだ幼かった時のことを思い出していた。あの頃僕はJリーガーになりたかった。清水エスパルスの選手になりたかった。沢登選手と一緒にプレーするのが夢だった。

理由は簡単で、そのとき習っていたのがサッカーで、サッカーを始めたきっかけは兄がサッカーをしていたからで、純粋にサッカーが好きだったし、愛読書はキャプテン翼だった(後にシュート派になる)。

つまり、たったそれだけのことなのだ。子どもの夢っていうのは。

そして僕はバカの一つ覚えのように、誰に聞かれても、何に対しても「夢はJリーガーです」と恥ずかしげもなく答えていた。そのたびに周りの大人からは「夢があっていいねぇ」とか「小さいのに夢があるなんて偉いね」なんて言われていた。そして僕少年は喜んでいた。大人に褒められるのが好きだったからだ。

ただし、今思えばこれがダメだった。

夢なんて簡単に決めちゃダメだ。もっと広い世界を見て、ちゃんと選ばなきゃダメだ。

現に、今僕はJリーガーじゃないけど、別に悔しくはない。そらJリーガーになれていたら嬉しかったかもしれないけど、現実的にJリーガーって食っていけない。

例えば同年代のJリーガーって誰がいるって、川島とか大久保だよ。それくらいしかいないのよ。あと佐藤とか田中も同年代かな。まじ一握り。

で、それほど年俸高くない。大久保はまぁ1億円ですけど。凄いけど、凄いけど、将来どうなるかわからない。

っていうか本当に一握り。大久保レベルでようやくそれ。超不運な骨折で選手生命ですら危ぶまれた田中達也は3000万。凄いけど凄いけど、引退した後どうするの。

話めちゃそれた。

で、何が言いたいかっていうと、夢なんて安易に決めさせるなっていう話。だから大人は聞くな。そっとしておけ。

むしろ「将来、何にでもなれるけど、どんな仕事があると思う?」と想像を膨らませてあげたい。

だって、この世界には無限の職種がある。僕が子どもの頃に知っていた職種はせいぜい10個くらいだ。サッカー、野球、警察官、お医者さん、学校の先生、スーパーの店員など。身近な存在だけ。っていうか。多分スーパーの店員に対してですら、それを「仕事」と捉えたことはないだろう。将来なりたい職業の対象ですらなかったと思う。その対象になるっていう事実をわかっていなかった。子どもってそんなレベルだぜ。

だから女の子は花屋さんとかケーキ屋さんとか言うんでしょ。それしか知らないから。

逆を言えば、もっと色んな夢を見させてあげれば、それを知れば、興味を持つかもしれない。つまり、可能性の話。これは親次第だよ。

めちゃくちゃ視野を広くさせてあげて、そして、どれもこれも勉強や努力が必要なことを教えてあげる。そして、いくつか興味を持って、やってみたいことを見つけたら、それに集中させてあげる。全力で応援、協力してあげる。

そういう子育てをしてあげたい、と思った。だって、可能性を無限大にさせてあげられるのは親だけだもん。学校の先生とかでは無理。彼らは学校の先生か、学生時代のバイトくらいしか社会を知らないんだから。

社会見学とか、今思えば無意味だったなー。なんも頭に入ってなかったわ。だってJリーガーになるって本気で思ってたから。そして中学生になってからは学校の先生に夢が変わるんだけど、それも高校卒業までの話。その後は…。

なんて視野の狭い人生を歩んできてしまったんだ俺は。アホだ。子どもに同じ轍を踏ませるわけにはいかない。

子どもに良い影響を与えることは大事な子育て要素。これは間違いない。

自分のことを振り返ってみたときに、今ある自分というアイデンティティのほとんどは環境であったり、親の育て方で作られたように感じる。もちろん遺伝子も。

遺伝子的にバカな家系では、どうあがいてもNO勉強で東大に行くことは不可能だろう。逆に、遺伝子的に超優秀な家系であれば、ほどほどの勉強でハーバード大に行くことも不可能では無い気がする。

それほどまでに遺伝子は重要なのだと思っている。

だが、それはいまさらどうしようもない。自分を振り返ってみても、遺伝子を変えることはできない(もしかしたら将来科学の発展とともに遺伝子交換も可能になるのかもしれないが、おそらく自分が生きてる間にはできそうもない)ので、環境と親の育て方、あとは学校や友達なんかも非常に重要になってることがよくわかっている。

学校や友達というのは、ある意味環境と同意語かもしれないけど。

さて、であれば、今すぐに効果の出る子育て方は、まさに親の育て方であるのだけれど、それをもっと細分化する必要があるな、と。

正直、子育てという漠然とした大樹なんかどうでもよくて、もっと照準を絞った子育ての方が大事だと思う。

というか、照準を絞ったものの連続が子育てという大樹を育てるのではないだろうか。

そういう意味では、世の中は大樹にばかり目を当てているのではないか?と疑問に思うことが多々ある。

兎にも角にも、子どもの前では、否、普段から意識レベルを変えて、まず好き嫌いをしなくて済む子に育てるために、何でも美味しいと言って目の前で食べるようにしてみよう。この効果が絶大なことは自分自身が身をもって体験しているから間違いない。

おかげで私は好き嫌いがないからだ。その方が色々な食事を楽しむことができる。美味しい食事を摂るときは、幸せを感じるときの1つだ。

きっとこういう積み重ねに違いない。どうだろうか。

 

自分に何ができるか、どうすれば自分で道を作れる男になれるのか

子育てを始めると啖呵を切ったのはいいが、一体全体何から始めればいいのか、自分に何ができるのかがさっぱりわからないことに気づいた。

そりゃそうだ。これまで子育てに関して考えたこともなければ誰かから教育を受けたこともないのだから、それは至極真っ当な結論である。

でもここで投げ出してはいけない。俺は子育てをするのだ。

まず、自分にできることが何かなのかを考える必要があると思った。がしかし、それより先に、どうすれば自分で道を作れる男になれるのかをわかっていなければいけないことがわかった。

自分にできることという限られたカードの中から選択するしかないのは、もちろんわかってはいるが、初めから「俺にはこれしかできない」というのは違う。

それこそ子育て初心者なわけだから、できなくて当たり前なのだ。

あやうくスタート時点で失敗するところだった。ありがとう先輩パパのK氏。

さて、どうすれば自分で道を作れる男になれるのか、これをまずは真剣に考える必要がありそうだ。

今のところ答えはまだ出ていない。ある程度仮説を立てる必要がありそうだが、自分の子どもでぶっつけ本番で試すのがそもそも正解なのか?そうじゃない気がしてならない。

かといって子育てシュミレーションのようなものはない。子どもは百人いれば百通りの育て方があるとかなんとか言うけど、そうじゃない部分だってたくさんあるはずだ。

まずはそこから勉強しよう。遠回りかもしれないが、それが1番確実な方法のはずである。

子育て始めます

息子が生まれて6年が経つ。仕事の忙しさを理由に、これまでは子育てを妻に任せっきりだった。

でも、これじゃダメだ。

このままでは息子はダメになる。それは決して妻の育て方が悪いという意味ではなく、父親の教育を受けていないということがダメなのだ。

シングルマザーを否定するわけではない。うちは違う。両親がいる。

両親がいるにもかかわらず、父親である私が父親として「子育て」には機能していない。いや、背中を見せているという意味ではある種子育てをしていることになるかもしれないが、それは言い訳だ。そんなもの子育てではない。

私が思う父親の役目は、道を示してあげることだと思っている。

道を作るのはあくまで子ども自身である。それは譲らない。多少、舗装はしてあげるけれど、歩くのは子どもであり、最後には自分で道を作れるような男になってもらいたい。

で、あればこちらで道を作ってしまうと、その上しか歩けない愚か者になってしまう。だから道は作らない。

そうではなく、将来自分で道を作れる男にしてやるのが父親の役目だと私は思っている。そのための労力を、これまでさぼってきた。それは紛れもなく確かだ。

今年で6歳になる息子のために、今日から私はパパになろうと思う。このブログはその第一歩である。

息子よ。君が立派な男になれるよう、私も頑張るぞ。